僕はたまたま仕事の関係でスティーブがどん底の時期に彼という人物を知るきっかけがあり、大変強い印象を受けましたそれは1996年から2000年にかけての時期です
…売れないグラフィックス・コンピュータの処置に困ったピクサーの社員が何とか食いつなぐためにCMの映像制作の下請けをしたのが映画製作会社としてのピクサーの始まりだったわけです
…スティーブはビルのことを父親のように慕っていました
「ちょっと近所まできたからさ」
そう言ってスティーブが会社に寄るといつもH&Qの社員はスティーブを暖かく迎えました
でも(本当はスティーブは行き場所が無いんだな)という事はH&Qの社員は皆、ひしひしと感じていました
…ピクサーに関しては「映画作りでいちばん大切なのは心にグッとくるストーリーだ
映像が美しいことも大事だけど、コンピュータが可能にする特撮の技巧の虜になってはいけない」という事を強く主張していたのが記憶に残っています…PCに関しては当時はウインテルの黄金時代でしたので「およそPCで最も付加価値がある部分はマイクロプロセッサーとOSであり、これはインテルとマイクロソフトがおさえている
だからそれらを内製するのは自殺行為だ」という事が世間の常識になっていました…「こんなに財務的リソースがカツカツになっているのに、OSからコア・プロセッサーまで全て自前で開発するメリットはどこにあるのですか?」
僕はそういう質問をスティーブにしました
スティーブの答えは:
「いまはパーソナル・コンピュータには個性は無いけれど、これはちょうどフォードがモデルTを出した頃の状況と同じさ
つまりクルマに個性が無くても、ただ庶民に手が届くというだけで十分だったのだ
でもそういう時代はすぐに終わる」というものでした
そして:「次に来るのはね、個性の時代なんだよ
例えばクルマで言えばポルシェとかそういうイメージだ
ポルシェがGMと同じエンジンを搭載していたら、誰も買わないだろう?」「つまり消費者が思い入れを持ってくれるような狂おしいほど魅力ある、個性的なコンピュータをデザインしようと思えば、全てをコントロールする必要が当然あるのだ!」
…ある日のミーティングで「そろそろスティーブも暫定CEOというタイトルを単なるCEOにした方がいいんじゃないの?」という声がH&Qの社員の間から上がりました
でもその時にスティーブは「いや、これはまだ暫定のままでいいんだ」と強く否定しました
結局、誰からも文句を言わせないだけ十分に実績が出来るまで、スティーブは3年近くも暫定CEOというタイトルを使いました
…その時、我々H&Qの社員はスティーブがアップルを追い出された時、彼が心に負った傷がどんなに深かったかを思い知ったのです
どん底時代のスティーブ・ジョブズの思い出 - Market Hack